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トップ > 揖保乃糸の生産地「播州・龍野」の紹介(たつの市)
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播磨の小京都と呼ばれる播州龍野を紹介します
脇坂淡路守の居城「龍野城」
※番号にマウスを乗せると写真が見れます。クリックで説明へ移動します
聚遠亭(しゅうえんてい)
松平定信が来遊したとき、この場所からの眺望が絶景であったことをたたえ「聚遠の門」と呼び、いつの頃からか聚遠亭と名づけられました。その名のとおり遠くは淡路島、そして瀬戸の島々を見ることができます。心字池上にある浮堂の茶室は安政年間城主脇坂安宅が京都所司代の職にあって御所が炎上したとき、その復興の功績をたたえられ、孝明天皇から拝領したといい伝えられている。
武者行列と龍野さくら祭(4月上旬)
子ども武者や甲冑(かっちゅう)姿の騎馬武者ら、約300人が「龍野武者行列」として城下町を練り歩きます。賤ケ嶽七本槍で勇名をはせた脇坂藩政200年の祭神を古代絵巻が繰りひろげられます。
4月上旬に、龍野さくら祭が開催され、武者行列が繰り広げられます。県下一の桜の名所・龍野公園。一目3,000本といわれる桜の満開も見事なものです。
野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)
野見宿禰が有名なのは相撲の元祖で、殉死のかわりにハニワを立てたことです。宿禰が大和から出雲へ帰る途中この地で病死しました。出雲から多くの人が来て川からリレー式に石を運び、墓を立てました。それで「野に立つ人」「立野」といい、いつしか「龍野」になったそうです。
片しぼ竹
真竹(マダケ)が変化したものと云われ、節間は芽の上側の反面が平滑で反対側に皺があります。幕末のころ、藩主脇坂公がこの竹を愛して庭前に植え、門外不出を厳命して秘蔵しました。
その後、龍野へ国替えなったとき、現在の梅玉旅館内に移植し、全国にこの地にだけにしか生息せず、昭和33年に天然記念物に指定されました。
龍野公園
春は桜、秋は紅葉が見事です。鶏籠山西側一帯の山麓は、西播丘陵県立自然公園で、龍野公園とよばれています。
また、県下一の桜の名所で、春の一目3,000本の桜の満開は見事なものですまた、聚遠亭や龍野神社、野見宿弥神社など周りには多くの史跡があります。
龍野城
赤穂浪士の有名な一説、赤穂城明け渡しの際の受城使 脇坂淡路守の居城。
龍野城は鶏籠山山頂の山城と、現在の地の平山城との二期に分けられます。山城は約500年前、赤松村秀によって築かれ四代続き、天正5年豊臣秀吉に城を開け渡しました。その後、山麓の平山城となり数回の城主交代の後に、寛文12年に信州飯田から脇坂安政が入部しました。
赤とんぼの碑
大正10年三木露風33歳のとき、北海道トラピストより「樫の実」で発表。ふるさとの想い出と幼き日の母の思い出を歌ったものと思われています。
龍野に生まれ、龍野に育った三木露風の赤とんぼの碑追想調の童謡「赤とんぼ」に因んで建てられたものです。また、歌碑五線譜は作曲者・山田耕作の絶筆。
兵庫県南西部に位置する「たつの市」は、総面積210.93平方キロメートルのおおむね平坦な土地です。市域のほぼ中央部を流れる揖保川は、遠く鳥取県境に源を発し延長70kmと県下で3番目に長く、この地方の文化、産業の中心地である龍野を育てた母なる川です。
播磨の小京都とよばれている、龍野城の周辺をご案内します。
揖保乃糸そうめんの故郷・たつの市をもっと知りたい方は、たつの市のホームページ、または、龍野観光協会のホームページでもご覧になれます。